千空くんたちと合流してからは血を見ることが少なくなった。だけど、ここまで来るのに流れた血を忘れることなんてできない。それだけはきっとみんな同じ気持ちだろう。

「羽京くんはどう?傷の具合は」
「だいぶ……良くなってきたかな。お陰様で」
「ううん!全然私は何も」

あの日、倒れ伏した羽京くんから流れていく真っ赤な血を未だに思い出す。その後すぐ自力で立ち上がっていたので、深手ではなかったのだろう。
でも、ショックだった。怪我の程度なんか関係ない。痛かったし苦しかったに違いないのに。
人は簡単に傷付く。簡単に死んでしまう。そうなってからでは遅いのに、あんなことが起こるまで自分には遠い話だとどこかで高を括っていた。

「薬があるって凄いね。千空くんたちがいなかったら、私達どうなってたのかな」

ひとり言みたいなものだから答えはいらないと、言葉を選ぼうとしている羽京くんを牽制してしまった。
軽い怪我でも傷口を清潔に保てなければ死ぬ。風邪が悪化して肺炎になったら死ぬ。何が起こってもその先には死だけが平等に待っている。
死にたくない。誰も死んでほしくない。千空くんたちや羽京くんがそう思って行動していたのは私でも知っている。

「気持ちは同じだった。そう分かったから協力したんだ。だけど千空たちはその為に全部0から作って実行してた。綺麗事なんて言葉も吹き飛ばしてしまうくらいにね」

羽京くんは、司くんが石像を破壊する行為を止められなかったのを悔いている。心では違うと叫んでいても、羽京くんは今いる人間が争わない道を選んだ。

「彼らのお陰で今がある。僕みたいな卑怯者にはできなかったことだよ」
「……そんなこと、ない。そんなことないよ」

本当は大声で叫んでやりたかった。この世界の誰が羽京くんのことを卑怯者なんて言えるの。人の無事を思う優しい気持ちを、どうして綺麗事だなんて乱暴な言葉で片付けてしまえるの。

ずっと誰かにそう言われてきたんだろうか。今つらい思いをしている人が、それこそ綺麗事を一番信じたいと思っている人が、他人を撥ね退けるようなことを口にしてしまう。
そう分かってはいても、彼みたいな穏やかで優しい人にこそ尖った言葉が刺さって抜けないと分かって投げ付けるような人間が、少なくなかったんじゃないだろうか。
羽京くんの過去なんて知りもしないくせに、私はさっきから勝手に作り出した見えない敵をずっと睨み続けている。

「大丈夫。だからこそ今はこうして働いてるんだし」

きっと今が一番、羽京くんにとって過ごしやすい世界なのかもしれない。彼は私とは違う。自分の行動を省みて、これからの為に動ける。だからこそ千空くんたちも彼を信頼して仕事を任せている。

「そっか」

かける言葉が他にない。正確に言うと、私の口から出ようとしているのは絶対にかけちゃいけない言葉ばかりだった。
この人を守りたいと思った。羽京くんがもう傷付かないように、自分のことを嫌いにならないように。目の前の綺麗な人を、自分のエゴで包んで隠してしまいたい。誰にも見られないように。
もしまた彼を傷付けるような何かがあるのなら、今度こそ私が盾になる。盾だろうと雨避けだろうと、彼が望まなくても槍になる覚悟だってある。
自分を心底おぞましいと思った。一番綺麗でいてほしい人を、こんな欲に塗れた気持ちで汚すなんて。

「私も。私も、羽京くんがそうなって欲しいと思ってる世界が素敵だなって思うよ」

私にできるのは、羽京くんが笑って過ごせる世界を作る手伝いを黙ってすることだ。この気持ちが「違う」だなんて思わない。
きっとうまくやれる。いくら耳の良い羽京くんだって、私の心の内が聞こえるはずがないのだから。
こんな気持ちを密かに抱いているような人間にも、羽京くんは「ありがとう」と笑ってくれる。今の私にはそれだけで良かった。



2021.12.19



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